僕の日本
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僕の日本

Posted on March 25, 2011
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なくなった日本の兄弟を運ばれてるこれはどこかの戦争の真っ最中の国からの写真でありません。これは地震と津波の元で犠牲になった僕の日本人兄弟を運んでいる日本の兵士です。英語の古い言い伝えで”何かがなくなるまで何を持っていたか気付かない”があります。そして僕は大事なものをなくしました。僕の子どもの中の3人が育った日本、僕が人生の3分の1を過ごしている日本。人生の中で一番大事なものを学ぶことができた日本。一日足らずのドライブでメルトダウンする可能生の原子力発電所がある。英雄と呼んでもおかしくない人達はずっと状態を安定しょうとしていますが、次から次へと起こる困難の前で何もできません。最終手段で海水を原発にかけて状態を安定させようとしていますが、治まる可能性は低いです。電力会社も全力を尽くして安定しょうとしていますが、季節はずれの寒い気候も足まといになっています。少なくとも現段階で入ってきたニュースです。

しかし、良いことも起きています。2日ほど前に幼児モーセがナイル川に流されたように母の手から離れたが、奇跡的に助かりました。悲しい結末しかない何千人もの家族の中でこの家族は奇跡的に再び再会しました。しかし、このような奇跡は時間と寒さで少なくなるかもしれません。

僕は日本のために祈る、兄弟のために祈ります。そして僕は食品や物資を持っていくことなどできるだけのことをしています。日本が元気になるまで、長い道のりです。しかしこれは「愛の労働」です。僕は次の数年をかけて何回も京都から東北まで運転していきます。

あなたも助けてくれたら嬉しいです。

ベリー

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