東北地方、津波の3ヶ月後
Posted on June 23, 2011
Filed Under kansai volunteer, tohoku relief | Leave a Comment
とっても真似ができない日本の秩序と鼓腹の写真です。乗客は仙台空港で集まる。近くの庭と野原では農業者は今年の収穫の世話に取りかかる。町中では新幹線はサラリーマンを仕事に届けている。
ちょうど100日前に巨大な地震が放った津波に続く放射能の悪夢を想像するのは不可能に等しいです。
東北部海岸は巨大なダメージ受け、28、000人近くは亡くなっているまたは行方不明です。16の町、95,000のビルと23の電車駅が破壊されています。南三陸の町は消えました…
メディアで細かく記録されている「復興」は現代の奇跡と言われていも不思議ではないです。本日ビルの上に乗っていた船はなくなりました。町全体から瓦礫がなくなっています。
日本という社会は計りきれないほどの強さを持っていることを思いだされます。これは”和”のおかげです。”和”は完璧という気持ちに近いものです。全ての人々が自分の立場、役割を理解してそれに応じて生きていくこと。と日本人は自分達、外の世界に言うのが好きです。
しかし津波を経ての日本は”和”からほど遠いです。新幹線は動いているかもしれない、しかし北仙台の海岸沿いに散らかっている漁港では千人単位の人々は支援物資で生活しています。政府が約束した義援金は未だ彼らの元に届いていません。
日曜日、"The Mail”の第一面に載った南三陸の荒れ果てた姿の写真を例にしましょう。ここにはなんの奇跡も起きていません。本日もここは歪み果てた鉄と先進国の極楽の瓦礫だれけの悪夢だ。訳30mにも及ぶ波はすべてを全滅した。石巻からも”和”が消えました。仙台から50km離れた港町も津波の破壊力を真に受けました。腐った魚の匂いが町中響くゴーストタウンになりました。
”和”は間違いなく日本を巨大な問題の対策を助けたのですが、しかしそれは被災者は沈黙に苦しむということでもあります。津波の直後は石油、水と食料のための行列ができ、他所で自然災害の後によく起こる略奪とレイプはありませんでした。
しかし、今僕が会うと被災者は本音を言ってくれます。二人の子どもを持つヒロアケさんは津波が来て以来ずっと石巻の避難所で二つのマットで生活をしています。
”私たちにはプライバシーが一切ありません。ここにいる人はみんな精神的に苦しんでいます。
日本赤十字が集めた2.5千億円はびっくりするぐらい人に届くまで長い時間がかかっている。現時点で370億円しか配布されていません。
年金と生活保護金も止まりました。糖尿病にかかっているコンノさんは毎月15,000円が何故彼が避難所に移動した途端に止まったか理解できないです。
別の被災者、78歳のサイトウ ウタコさんは壊れた小屋の中にテントを張って寝ています。彼女は3ヶ月間、年金を受けていません。
失業率は約90%にも及んで、人々は反乱し始めています。家族の3割は仮設住宅への移動を拒んでいます。それは避難所では食品が手に入るからである。28、000の仮設住宅の6割はまだ空き状態です。90,000人はまだ避難所にいます。
政府は被災者が避難所に居心地よくならないために、電気の使用を断っているとカトリック福祉カリタスからのボランティアが言う。
しかし津波で家や家族を失わなかった人が一番つらいかもしれないです。彼は水道、お金、仕事がないかもしれない。しかし補償金が配布され始めると彼は何も頂けません。
南三陸から北にちょっとあるミウラ チエコの大きな丘の上の家は地元の人30人のための避難所になりました。
やっと政府からおにぎりを貰えるようにになったが、私の家族は被災者ではないので、家族のためには何も貰えなかった。と彼女は思い出した。現在まだ12人の面倒を見ているそうです。
政府はとっても冷たい人です。助けようとしている人達を見捨ててほとしいのでしょう?
彼女はこれを言いながら、涙を流して、謝りました。被災者はほとんどビスケットとドライフーズを食事にしています。
私たちは食べ物がない家に移動するか、避難所に残って食べるべきか?と漁師のミヤキさん(46)は言う。
食品を配布しているケイ ワタナベによると、人々は餓えていないが、政府から充分な食品を頂いていない。日本は発展途上国じゃない。ここはアフリカじゃない。日本政府は海外に誰よりも早く支援を送るのに、自分の人々になると何も見えていない。
津波の被災者は食品が足りないのであれば、他の国民は情報が足りていないです。日本人は今津波に続いた原発問題の不正情報を出した政府をどう理解するか困っています。
3月12日、福島原発が爆発した、そして2日後爆発した時TEPCOと原発の責任者、政府とメディアは国と世界にすべては大丈夫と嘘をついた。
5月12日まで核反応炉の1つだけじゃなく、3つが炉心溶融していると認めなかった。発表のタイミングですらひがみっぽかった。IAEAの検査員が到着するちょうど前だった。TEPCOは政府は選ばれたメディアにしか情報を提供ない昔からあるプレスクラブを通して情報をコントロールすることができた。
日曜日の”The Mail"は日本の原発産業の人に話したところ放射能反応が福島の250キロ南まで爆発直後反応しました。責任者にこのことを秘密するようにと言われたそうです。
先月フジテレビがとったアンケートによると、国民の81%が政府からの放射能情報を信用していないことがわかった。
買い物も最近問題になった。店側が違う県からの野菜を仕入れている:お客様はどの県からの野菜で選ぶからである。
内閣の管直人は国民に安心感をもたらすために、喜んでカメラの前で被災地で作ったさくらんぼとトマトを食べた。彼が話しながら、濃厚な放射能のためブルドーザーは福島の学校のグラウンドから上の方の土を取り除いていた。
新月新聞の会長マイケル ペン氏が言うには、メディアと政府は国民を安心させるために、協力しているらしい。
しかし今回政府は国民が何を必要としているかひどく勘違いしてしまいました。
政府は国民の安全を否定したのは今回が初めてではありません。90年代のに1800人近くが清掃されていない血関係の商品からエイズにかかりました。
ほとんどの被害者は亡くってから厚生省がこの事件の真実を明かしました。
よく知られているドキュメンタリー監督によると、TEPCOは原発産業に反対している俳優とミュージシャンのブラックリストの創造のためにお金を支払ったそうです。
ある俳優、太郎山本が反原発プロテストに参加した時、彼は人気のドラマの仕事をなくしました。彼の”罪”は福島の子どもヨローパの原発で働く労働者と同じ放射能の量を浴びるのはおかしいと言いました。
日本の歴史の中で一番大きい地震の100日の後、生活は間違いなく普通には戻っていません。あるレフュジーは僕にこう言いました。”僕の一番大きい心配はメディアが原発問題に関心を移す時ここにいる人々が忘れられてしまうこと。
そして自分の政府に裏切られたという気持ちが強くなると同時に”和”はゆっくりと消えています。
( イギリスのオンライン新聞:The Daily Mail 6月18日より)
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