孤児にストロベリーを
Posted on January 11, 2012
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「京都に孤児院があるの?」
これは関西フードバンク活動で今週から新ドライバーとして働く人が発した疑問です。
その後彼は、地域にたくさんの孤児院があることに対して驚きました。
そして、車で京都、高槻、茨木の孤児院に赴いて食料を配布するだけでも週に4日かかることに対して。
私たちは地域の孤児院と共に15年間活動をしてきました。
これまで無料で食料を提供する他、清掃からUSJへの旅行までさまざまな活動をしてきました。
私たちが支援している恵まれない方々のうち、会って最も心が痛むのは恐らく両親がいない子供や両親の家庭で養育されることができない子供でしょう。
しかし同時に、私達の社会の中でもっともか弱い存在である彼らが、この15年間で私に人生について多くを教えてくれました。
私達大人の大多数とは異なり、彼らは決して自分たちの置かれた状況をくよくよ考える様子を見せません。
それどころか、彼らは生活の中での最も単純な出来事さえも楽しんでしまうのです。
彼らの能力に私はいつも驚かされています。
すべての運転手が孤児院に食料を運ぶことを好いています。
不幸そうな表情をした子供達がトラックを出迎える、などということは決してありません。
子供達はいつも元気に目を輝かせて、トラックの荷台からどんな楽しみが飛び出してくるのだろうかとわくわくしながら荷台を見つめます。
今日彼らは、他の何よりも、甘く熟したイチゴにその瞳を輝かせました。
このイチゴは、大部分が熟しすぎていたために地域の卸売り店から寄付されたものでした。
子供たちの夕食にご馳走をと、私達のスタッフが何百ケースのイチゴから熟しすぎた部分を抜き取って施設に届けました。
数年前であれば、これらのイチゴは今日のように300人近い施設の子供達のための特別なご馳走として振舞われることは決してありませんでした。
子供たちは決してイチゴを味わうことはできなかったでしょう。
イチゴは単に廃棄されていただけです。
実際、今日の日本では、すべての消費可能な食料(今回のイチゴのように、食べることができるもの)のうちの3分の1近くが毎日廃棄されています。
これは、日本においてフードバンク活動がまだ浸透していないことが原因です。
今でもフードバンクの持つ大きな可能性に気が付いている人は非常に少ないのです。
私たちの熱心なスタッフがここ関西で一生懸命努力してきたのにも拘らず、です。
フードバンクの全体的な概念はここ日本では比較的新しいものです。
私は未だに、どうしてわざわざ孤児院に食料を配るのかとよく尋ねられます。
「施設は子供たちの養育費として政府からお金を受け取っているのではないのか?」、と。
確かにその通りです。
しかしそれらの資金はイチゴやスイートポテトといったもののためだけに使われるわけではありません。
認可を受けたそれぞれの施設が子供一人当たりいくら、という形で給付金を受けています。
これは彼らの養育費を補助するためのものです。
しかしそうした給付金は必要最小限のものであり、子供たちは私達の多くが持っていて当然と思うような物品を受け取っていないのです。
私たちが施設に無料で食料を配布すれば、施設はそれまで固定費であったお金をもっと別な部分に回すことができます。
例えば、子供の視力にあった眼鏡を買ったり、或いは高校入学前の子供を援助したりするなど子供のためになる新たな活動を始めることだってできるかもしれません。
イチゴの箱や味噌のパックは、まったく驚くべきやり方で私たちの社会に実質的な変化をもたらすことができるのです。
自らの地域のフードバンク活動を支援することを是非とも考えてみてください。
きっとあなたも、なにか驚くほどの変化に出会うことができると思います。
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